Daily Occurrence

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

episode8 自身初巡業から繰り返す巡業と様々な出会い。そして。



リリースと共に初めてのツアーを周った。
全国様々周ったが初っ端の東北での事である。
当時は酒なんか大して呑めずむしろあまり好んではいなかった。

某バンドのボーカルとの出会いがあった。
内容は割愛するが俺のバンドマン人生初めての洗礼だった。
本当に感謝しているし今でも尊敬する俺の兄貴分だ。

各地でバンドをやってるやつら本当に色んなやつと出会った。
もちろん今でも交流もあるし言葉にすると軽く聞こえてしまうかもしれないが、みんなには感謝しかない。
長々と書きたいところだが、本文章の趣旨と少しずれるので書きながら思い出し笑いなどで振り返っている。

2nd albumのツアーが終わり、勝手にアンコールツアーなど遠征を繰り返した。
仲間が増えていき、ライブのお誘いも増えていった。
地元の岩手の先輩バンドの力を借りて地方での企画イベント「MET」なるイベントも行った。

ライブ続きの生活の中で転機が訪れた。
所属していたレコード会社が無くなってしまった。
正確に言うと事業を縮小し方向性を変え、インディーロックバンドのリリースを辞めたのだ。
当時の社長、スタッフも総入れ替えで俺たちもお払い箱となった。

スタッフをしてくれていたA氏は同郷という共通点もあり、何かと気にかけてくれていた。
A氏は新たなレーベルを立ち上げ、小さい規模ながら会社を立ち上げた。

心機一転、俺たちもそこでお世話になる形となった。

立ち上げから暫くして、同郷のバンドW-DRIPと「BOOLISH BEAT」というスプリットアルバムを出した。

地元でバンドをやってる奴らはみんな仕事をしていて中々スケジュールを組めないなんて話はざらにある。

何とかスケジュールをこじ開けてもらい、東北ツアーを敢行した。
秋田、弘前、八戸、盛岡、仙台と東北ツアーを無事に終えた。
残すところ3月19日のツアーファイナルの渋谷公演のみとなった。
今から3年前の事である。

誰もが覚えているだろう。
3月11日 東北地方太平洋沖地震が起きた。
勢いは東北は勿論のこと関東までも巻き込む大きな震災となった。

地元の連中は勿論、家族とも連絡が取れない日々が続いた。
数日経ち、ポツポツと連絡が取れるようになった。
19日はすぐそこ迄迫っていた。
連絡が繋がり、W-DRIP Voの下ちゃんに連絡をとった。
行けるものなら行ってファイナルを迎えたい。
ただ物資は元よりガソリンも無い。ここからは動けない。演れるならお前らだけでもやってくれと言われた。

出演オファーをしていたバンドからもイベントを開催するのか。
不謹慎ではないか。
などと意見をもらった。
会場に確認を取ったところ、うちは構わない。
営業出来ると力強い返事を頂いた。

やるしかなかった。
やりたかった。
ステージに立てないやつらの分まで全力で演った。

この時からやっぱり意識が変わったと思う。
ライブで欠かさずまた会いましょうと言うようになった。
これは言おうとして発した言葉ではなく湧き出た言葉だった。
またなって言葉は絶対じゃないし約束でもない、不思議な言葉だ。

そう思って間もなくそれが現実になるとは思いもしなかった。



episode7 楽団活動と立ち位置。



TEXAS STYLEに加入して暫く経って気付いたことがある。
インディーデビューしたとはいえ、動員が余りにも少なかった。
当時はライブをしても動員ノルマに到達せず赤字続きだった。
超個人的なリサーチの結果、情報量の少なさという点に目をつけた。
HPの更新は遅い。
スケジュールがわからない。
これでは本末転倒である。
知人にHPの作成を依頼して更新も簡単に出来るように設定してもらった。
当時はmixiが全盛期の頃で、幸い既に有ったTEXAS STYLEのコミュニティーにバンバン書き込んだ。
動きや情報が広がれば何でも良かった。

そんなちまちました業務を行いながらもTEXAS STYLE 2nd minialbumの製作が近付いていた。
これは今でもそうなのだが、和夫の作曲スピードは早い。
波はあるものの、その辺のバンドマンよりは断然早い。

当時、ライブを重ねて俺は俺の居る場所を掴みかけていた。(これも完全なる勘違い)
2nd minialbum の製作にあたり、プロデューサーとして、大島さんにスタッフからアプローチをかけて貰っていた。
正直俺は名前を聞いて

(・・?)

って感じだった。フルネームを聞くまでは。

良く良くスタッフへ確認したところ、大島賢治 氏であることが判明。
早く言ってくださいよー!
ハイロウズて!
わー!!
ゆたれひもさゃぬあ、ーと!た!あ!

と抜群の取り乱しを、そしてあくまで冷静を装った。

わくわくドキドキはありながらも、こちらも大島さんも真剣。
最初のライブを観てもらったときは、一緒にやりたくないと言われた。
確かにそんなステージをしていたと思う。
和夫をはじめ、俺たちの思いを伝えた。

正式にプロデューサーとして承諾を頂いたのは暫くしてからのことだ。

プリプロからレコーディング、ミックスと親身になって対応してくれた。
楽曲のアレンジから個々のアレンジまでじっくり吟味した。
俺のデビュー作でもある 2nd album 「Dr.HEAVEN」の製作は TEXAS STYLE へ正式に加入して3ヶ月余りの出来事だった。


episode6 初陣と少しの挫折。



仕事を辞めた俺はスケジュールにも余裕が出来て幾度とスタジオへ入った。

スタッフの提案でやはりTEXASはライブバンド。
ライブしようという運びになった。

場所は渋谷サイクロン。
ライブはTEXAS STYLEの名前を伏せて完全シークレットで行った。

今振り返ると死にたくなる程のステージだ。
ぎこちない動作。中途半端すぎる煽り。
因みに当時の映像は、戒めとして我が家のハードディスクに残してある。笑

個人的デビュー戦は散々な結果に終わったが、そこで今でも俺がベーシストとしての師と仰ぐ渋谷サイクロン/マイライトの三浦さんと出会う。
「お前はこうなれ」と徐に差し出された写真集はポールシムノンのものだった。

演奏は置いておいて、ステージングや立ち振る舞いなど、見てくれの修業を始めた。
バカである。笑

こうしてライブハウスデビューを果たした。

個人的な初ライブを終え、TEXAS STYLEとしてのライブを行った。
ここで俺たちは全曲新曲という暴挙に出た。
必死で既存曲を練習した意味はこの際置いて置こう。

暫くのライブはただただ必死だった。
自分のステージを自分で把握しよう。
とてつもなくかっこつけなければ。
あ、また間違えた...。
周りが見えていないとはまさにこの事だ。
了承したとは言え、良く和夫もおできも耐えてくれたと思う。
マジ感謝。

正直、見兼ねたお客さんは離れてしまったし、自分の選択は、バンドの選択は間違っていたんじゃないか。
前に進むと決めたはずの意思は既に折れかかっていた。
完全に自分を棚に上げた状態だった。
ちょっと待て。
お客さんは俺を観に来てるわけじゃないんだ。そうだ。気にせず行こう。
こうして色んな柵から脱却して行った。
反骨精神の賜物だ。(完全なる勘違い)

«  | ホーム |  »

Calendar

« | 2017-08 | »
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

I am

ryutafurudate

Author:ryutafurudate
TEXAS STYLE Ba
Hi, very good of you to visit me.

New

Comment

Archive

Links

TEXAS STYLE OFFICIAL WEB SITE Ryuta Furudate facebook Ryuta Furudate on Twitter

QRcode

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。